シロの考察所

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シロの曲考察-本東(巫泥)

シロです。巫泥さんの曲「本東」(ホントン)を考察したのでここに記します。

 

 

本東の歌詞

 

損か得か忖度か何て 己が決めんぞわーいわい

ヒステリックで未亡人 マグマグラマー

そんなもんじゃ無いわ

 

ハイド 喪家

廃墟 売国奴

マサカー摂取中の蔓延 マサチューセッツ州を繁栄

 

スッタカラッターパカラッパー×3

売ったかやっぱ馬鹿だった

 

般若派羅蜜多本東

快感だったら何でも良いか

スッタカラッターパカラッパー

頭がおかしくなあれ

 

チンプイプイか アブラカタブラか

イナイイナイバアか 簡単

ヒステリックで未亡人 マサカソンナー

そんなもんじゃ無いわ

 

愛と平和 賽は振られた

顔がいつも 笑っている様だが

まるで骸骨みたいだ

 

般若派羅蜜多本東

快感だったら何でも良いか

スッタカラッターパカラッパー

うっさい黙っとれよ河童

簡単だった つまんなかったか

腐った酸化 疑わなかったか

スッタカラッターパカラッパー

頭がおかしくなあれ

 

般若派羅蜜多本東

快感だったら何でも良いか

スッタカラッターパカラッパー

うっさい黙っとれよ河童

簡単だった つまんなかったか

腐った酸化 疑わなかったか

スッタカラッターパカラッパー

頭がおかしくなあれ

 

 

曲考察

先ず前提として、この曲は架空都市「本東」の紹介と考えて考察します。

 

"損か得か忖度か何て 己が決めんぞわーいわい"

よく見るとこの"得"という字は二つの意味を持ちます。

一つ目は損と対立して並んでいる、利益を得る事という意味。

損は利益を失う事、得は利益を得る事、忖度は他人の気持ちを推し量る事で、どれを選ぶかは自分が決めると言っていると読めます。

そして二つ目は仏語で、浄土に往生し、涅槃の結果を得る事。涅槃とは、悟りの境地であり、円満・安楽のただあり、仏教の理想とするものです。

何故仏語で読めるのかは二つの歌詞からわかります

一つ目は"般若派羅本東"。仏教の一つとして般若派羅蜜多心経があり、非常に酷似していることから、この曲が仏教に関していることがわかります。

二つ目は"愛と平和"。これは2番に出てきますが、"損か得"と同じように、関連した言葉です。そして、このうち"愛"は仏語で解脱(縛るものを離れて自由になる事)を妨げるものです。

損は報われない事、得は涅槃の結果を得る事、忖度は他人を配慮することで、教えがあっても自分がどれをするかは自分が決めるんだという意志が読めます。このとき、わーいわいは教えからの解放感とも感じられます。

 

"ヒステリックで未亡人 マグマグラマー そんなもんじゃ無いわ"

ヒステリックとは感情を統御できていない状態です。

マグマグラマーという言葉は存在しませんが、マグマは積もり積もった不平不満、グラマーは文法という意味です。そのため、マグマグラマーは「不平不満を言う」という意味だと思います。

すると、激しい怒りで夫を死なせたわけでも不平不満を言いたいわけでもない!と読めますね。どうやら主人公の周りでは感情的な印象があるようです。

 

"ハイド 喪家 廃墟 売国奴" "売ったかやっぱ馬鹿だった"

これは他人について言っているようです。

ハイドとは狩猟の時の隠れ場

喪家とは不幸のあった家

廃墟とは建物が荒れ果てた跡

売国奴とは私利のために敵国に自国の不利になることをする者

国を売った人の隠れ家が荒れ果て、既にその家族が不幸にあっている様子が確認でき、この売国奴に対して"売ったかやっぱ馬鹿だった"と言っています。

馬鹿とは、利口でない事という意味で使われていますが、同時につまらない事という意味で使われています。また、つまらないとは"価値が無い"という意味で、これは般若派羅蜜多心経で取り扱われている空性について言及してるように見えます。主人公は仏教の考えを持っているようですね。

 

"マサカー摂取中の蔓延 マサチューセッツ州を繁栄"

マサカーとは、大虐殺という意味です。

これに関連してマサチューセッツ州(当時はマサチューセッツ湾直轄植民地)ではボストン事件という虐殺事件が発生しており、これは反イギリスのプロパガンダとして"摂取"され広げられ(="蔓延"させられ)ました。これによりアメリカ独立戦争が起き、マサチューセッツ州として繁栄しました。

これは、本東の歴史を例えているように思えます。

すると、本東は仏教の植民地にされたものと考えられます(この時の本東を元本東とする)。

摂取は仏語で、仏の慈悲の光が苦しんでいる人々を救いとる事です。

元本東では摂取が行われている最中に、虐殺が蔓延したのではないでしょうか。(苦しんでいない人々は救われないため、互いに殺し合って苦しみあったのか、救われている人々を羨んだ苦しんでいない人々が救われている人々を虐殺したかは不明。)そして、これによって独立戦争が起こり、本東も同じように成立したのではないでしょうか。

 

"般若派羅蜜多本東 快感だったら何でも良いか スッタカラッターパカラッパー 頭がおかしくなあれ"

サビに"般若派羅蜜多本東"があることから、強調していることは間違いないです。

"快感だったら何でも良いか"は先程読んだ歴史を踏まえると、宗教に縋って苦しい思いをするより心地良い方がいいという思いが感じられます。

すると、"頭がおかしくなあれ"は仏教の信仰が普通の人からしておかしくなるので、仏教を信仰するな、と読めます。主人公は確かに仏教を信仰していましたが、反仏教的になった様ですね。

 

"チチンプイプイか アブラカタブラか イナイイナイバアか 簡単"

一つ目は怪我をした子供を「宥める」まじない

二つ目はお守りに刻印すると「治癒力」を持つと信じられた呪文

三つ目は幼児を「あやす」言葉

どれも不思議な力を持つかの様な言葉で、そして言葉を使用すると効果を発揮するので、"簡単"だと言われています。この"簡単"は仏教と比較しているように見られます。

 

"ヒステリックで未亡人 マサカソンナー そんなもんじゃ無いわ"

マサカソンナーという言葉もソンナーも存在しないため、「まさかそんな」を片言で言っているとしか思えません。つまり、心当たりがあるのです。心当たりがある上でそんなもんじゃ無いと言っているので、そんな程度じゃないほど感情が昂っていると言いたいのでしょうか。前回そんなもんじゃ無いと否定した時との間で歴史について語っている様に読みましたが、これによって感情が昂るという心境の変化が感じられます。

 

"愛と平和 賽は振られた"

愛と平和の並びは"損か得か"で扱った通りです。

まず、愛の一つ目の意味として、幸せを願うという意味があります。

幸せを願い心配や揉め事もない穏やかな日々を過ごすため、もう最後までやるしかない。と読めます。

二つ目の意味として、解脱を妨げるものとして紹介しました。

解脱を行うことによって涅槃、つまり仏教の理想へ辿りつけます。それを妨げるものでも、穏やかな日々がともにあれば良い。もう戻れない。と読めます。

 

"顔がいつも 笑ってる様だが まるで骸骨みたいだ"

これは仏教の理想へ辿り着いた信仰者に言っている様ですね。笑っているのは円満や安楽からでしょうか。"まるで骸骨みたい"な笑みであると皮肉を言っていますね。相手は縛られるものが全くなくなり、自由すぎるが故に、笑えていないことが目に見える程に楽しく無くなってしまったのでしょうか。

 

"般若派羅蜜多本東 快感だったら何でも良いか スッタカラッターパカラッパー"

(略)

 

"うっさい黙っとれよ河童"

河童は想像上の生物です。本東に住んでいるのでしょうか。河童は「人を引き込む」ことから呼び込み等の意味も持つらしいのですが、もしかしたら「仏教へ人を引き込もうとする人」に対して煩いから黙れと言っているのでしょう。

 

"簡単だった つまんなかったか 腐った酸化 疑わなかったか"

これは仏教の信仰者に向けて言ってますね。

"簡単だった"は三つの言葉と一度比較して仏教より言葉の方が簡単だったと言っているので皮肉ですね。

"つまんなかったか"は般若派羅蜜多心経の空性を本当に信じているのかを聞いていますね。ここで"売ったかやっぱ馬鹿だった"で空性について言及していたのを振り返ると、売国奴の私利は解脱=自国から解放されることで、売国奴は空性(=馬鹿)のままで仏教を信じても意味がないじゃないかという皮肉の様に感じられます。

"腐った酸化 疑わなかったか"は悪い結果を不安に思わなかったのか?とあの本東ができる歴史の中で仏教の欠点に気づいたはずの信仰者に訴えている様に見えます。

 

"スッタカラッターパカラッパー 頭がおかしくなあれ"

ここでもやはり「頭がおかしくなれ」=仏教を信じるなと言っているあたり仏教から引き込もうとしているようです。

 

"般若派羅蜜多本東 快感だったら何でも良いか スッタカラッターパカラッパー うっさい黙っとれよ河童 簡単だった つまんなかったか 腐った酸化 疑わなかったか スッタカラッターパカラッパー 頭がおかしく なあれ"

(略)

 

 

概要欄

概要欄にて、「本東へようこそ」と言っていて、尚且つ日本語で構成された曲であることから、この数度にわたる"頭がおかしくなあれ"は我々日本人にも言っているようです。

また、スッタカラッターパカラッパーが何度も繰り返される事、チチンプイプイなどが簡単だと評されていた事から考察するに、スッタカラッターパカラッパーはまじないの言葉なのではないでしょうか。そして、そのまじないを使う宗教に我々もまた、招待されている、そう感じられます。

 

 

結論

どうやら本東では仏教が教えられていたのではないでしょうか。そしてこの主人公はそれに反抗しようとしている、そんな様を感じられます。

また、賽は振られたと言っていることから新たな宗教を作り出したのも主人公ではないでしょうか。そして「本東へようこそ。」と言いながら我々に宗教へと勧誘しようとしている。

 

 

感想

ここからは私の感想になりますが、まず、歌詞選びがすごいですね。私がどこまで読み違えているかはわかりませんが……少なくとも私は調べてみるまで般若派羅蜜多心経なんてものは知りませんでした。巫泥さんは知識が深いですね。

今回扱った「本東」。聞いてしまったからには、私も、貴方も、「スッタカラッターパカラッパー」と、何度も歌い上げましょう!

 

以上です。